平成27年卒 寺澤一輝
合氣道原稿 平成27年卆の寺澤と申します。 この度、夏の最初の目玉イベントである土用稽古に参加させていただきました。
通常稽古とは異なり高校生も大勢参加し、中日を挟んで後半の3日間は日吉キャンパス柔道場にて、その広さを存分に活かしたダイナミックな稽古が実施されました。 特に印象的だったのはやはり所謂「周りを回る」稽古だったと思います。非常に強度の高い運動でしたが、下級生や高校生もめげずに最後まで頑張ってやりきってくれました。 目立った負傷者もおらず、体力向上と基本動作の上達が大いに期待できる、実り多き7日間でした。 もちろん、私以外にも角田先輩や三宅先輩をはじめ、多くのOB・OGが参加されたので、現役の皆様にとっても有意義な時間だったと思います。
さて、せっかく機会をいただきましたので、甚だ僭越ではありますが、長らくお伝えしたかった思いを綴らせていただきます。 私が今回土用稽古に参加した主な理由は、健康維持もありますが、それ以上に「稽古」の重要性を再認識したからというのが大きいです。
私は現在普通の会社員ではなく、個人事業主という立場から小さな会社の経営に携わっております。新卒でサラリーマンとしてキャリアをスタートしましたが、複数回の転職を経て今日に至りました。 正直、うまくいかないことだらけですが、何らかの価値を提供し続けなければ食いっ逸れる個人事業主という業態でも、現状なんとか、本当になんとかなっております。 そして最近ふと、なぜ私なんかが「なんとかなっている」のだろうと考えたとき、多分「合氣道をやっていたから」以外ないのです。だって中高大と合氣道しかやってないので。 例えばですが、どこかに強張ってる部分があったら、そこにストレスが掛かってしまい、いずれは折れてしまいます。我々は「折れない手」で学びましたが、これは腕や肘の話だけではなくあらゆる物事に当てはまらないでしょうか。「恩賜の御衣」は、押したり引いたりしても動きませんが、相手と一体となって行先を揃えてあげれば動きます。これも何でもそうで、社会に出てから似たような経験が何度もあります。
勿論、何かある度に「これって合氣道でやったあれと同じだ」等と考えているわけではありません。稽古を通して得た学びや気付きを咀嚼して形成された、言語化しようのない合氣道のエッセンスのようなものが私の中に蓄積されていて、それが無意識下で様々な事案に対しての篝火(かがりび)となっている。大層な表現をしましたが、恐らく皆様も日常的に同じことをしています。
注釈しておくと、恥ずかしながら私は合氣道自体は上手くありませんでした。中学から始めて10年間も稽古していたにも関わらず、審査会などの成績は全く振るわず(今思えば努力不足ですが)、「自分なんて所詮こんなものか」と諦観したものです。 ですが、仲間に恵まれたおかげで最後まで食らいつくことができました。 記録にこそ名を残せぬ徒花とはなったものの、稽古を通して学んだものが血肉となった結果、今こうして綱渡りでも生きているわけですから、合氣道部には本当に感謝しています。 今回土用稽古を皆勤した理由を改めてお話しするとすれば、時々は稽古に出て自分のルーツに触れた方が、トータルで人生にとってプラスになるのではないかと考えたからです。たまに早起きするのは気持ちがいいですし、寒稽古も可能な限り出ようと思います。 勿論現役の皆様には、審査会や早慶競技会で高い成績を残せるよう頑張ってほしいですが、合氣道の稽古をすること自体がとても尊く、実りのあるものだということは、是非とも忘れないでいただきたいと思います。卒業後も顔を見せてほしいな!